RANMARU! BBS 143391

 なかば、私のツイッター化の掲示板ですが、気味悪がらずに書きこみいただけるとありがたいです。


典拠を捜査中の話

1:うきき :

2011/11/21 (Mon) 23:56:31

 先日ご紹介したGoogle eブックストアで見つけた『尾参宝鑑』という書籍を読んでいますが、この中に大変気になる記述があります。
 この『尾参宝鑑』自体は明治時代の出版ですが、森家の関連を読むに『森家先代実録』や『林家覚書』を熟読していないと知らないような記述なんです。
____________________

『尾参宝鑑』(無料ですぐにダウンロードできます。)
http://books.google.com/ebooks?id=dgRoqRR5N4YC&hl=ja

気になる記述があるところ。
■『第二巻 第八章 尾参諸城(岡崎城)百五十九』:本多家老臣 林長兵衛直次
Google books では523ページ
■『第三巻 第二十三章 諸将及忠臣烈士ノ墳墓 二百四十八』:森家
Google books では890ページ

 気になるのは、この記述の中に蘭丸の母・妙向尼について私の知らないような話が細かく書いてあることなのです。
文章では「妙光禅尼」となっているのですが(アハハ…汗)

 私が気になるところを補足を入れつつ現代的に要約して箇条書きすると

・林長兵衛の姉(妙向尼)は斎藤道三の娘(濃姫)に仕える者だった。美しくて知恵があったので、濃姫
の守役として道三に教育された。
・道三が彼女(妙向尼)を森可成に嫁がせて一男を産んだ。それが森可隆。
・道三は濃姫が信長に嫁ぐのに及び、なお可成の妻(妙向尼)を守役として織田家に行かせた。
・可成の妻を通じて信長は森可成の知勇を知り、可成を織田家に招いて家臣にしようとした。
・信長の家臣になった可成、織田家で厚遇を受けてみんなのジェラシーをあびる。
_____
・可成の妻はかつて織田信長室(濃姫)の侍女であり、付人として美濃から尾張にやってきた。
・信長は彼女を森可成にめとらせた。(←記述がさっきと矛盾してる
・林氏(長兵衛)はその姉の妙光禅尼(妙向尼)とともに一向宗の大信者であったので、信長が大阪の一揆を征するにあたり、いやしくも一揆に不利な密計はことごとく林長兵衛が大阪(石山本願寺)に内報した。そのため信長の軍略はことごとく大阪の知るところとなった。
・信長やその家臣が大阪を征服できなかったのは、可成の妻がことごとく密報を大阪に入れていたから。
・可成はそんなこととはつゆ知らずには常に妻に情報を語っていたし、また、可成の妻は親しく信長に接して機密を得ていた。
_______________
 以上、時間の都合でかいつまんでピックアップしましたが、原文はGoogle eブックストアでご確認ください。この『尾参宝鑑』の記述に関しての出典がどうしてもわかりません。
 林長兵衛が敵の鈴木重行に機密情報を漏らしていた話は『林家覚書』にも書いてあるのですが、ここまで細かい話は書いてはいないように思えます。
 他の部分の森家の記述を読むにちゃんと出典があるとわかるし、よくぞここまで調べあげたな、という印象なので、きっとこの妙向尼のお話にもデドコロがあるのだろうと思うのですが…わかりません(涙)。
 
 まさか根拠のない想像でここまで詳細は書くまいと信じつつ、出典を探し中です。
2:とみー:

2017/07/03 (Mon) 20:11:01

凄いこんな本があるんですね
本家本元の林家覚書を見てみたいなと思ったんですけど、
ネット、若しくは大きな図書館などでは見れないのでしょうか?
3:うきき :

2017/07/03 (Mon) 23:24:06

とみー様、こんばんは。
すごく古い書き込み(2011年!)を掘りおこして下さりありがとうございました。
私自身もこんな書き込みの存在を忘れてしまっておりました。改めて読むと妙向尼はかなり思いっきったことしてますよね(いえ、史実かどうかはわかりませんが)、黒幕レベルの行動力こっちがドキドキしてしまいますわ(いえ、史実かどうかはわかりませんが)。
なお、いまだもともとの出典はわかりません。

お尋ねの『林家覚書』ですが現在は名古屋市博物館の所蔵になっております。
どのくらい前かは忘れましたが、他の林家の宝物ともども売りに出ていたのを名古屋市博物館が一括して買い取ったとのことで、今でも森家関係の特別展などでちょこっと展示されたことがあるくらいでまだ『林家覚書』の存在自体がメジャーになっていない気がしますし、私の知る限りでは『林家覚書』はまだ活字化されていません。是非、してほしいですよね。

私はご縁があって内容を知ることができました。
森家の文献では見受けられない内容などはピックアップしてこのサイト内の関連ページなどで紹介しておりますけど、まだまだ充分書き出せてはないです。
4:とみー:

2017/07/04 (Tue) 20:56:57

早速のご返信ありがとうございます。
林家覚書という超マイナー本検索でたどりついたのがここでした(笑)
気軽に見れる本ではないと分かり残念なので聞いてしまうのですが、本願寺とのヤバイ内通話は林家覚書で本人の林さんが書いているのですよね?母も内通はしちゃってるかもとは思ってましたがここまで😓? 妙向尼が濃姫の侍女だったとか信長が仲人とかの話は森一族のサイトの林家覚書の抜粋を見るとさらっと書いてあるように思いましたが、尾参宝鑑だと随分詳しいのですね
ちなみに、本願寺との和睦に当たり林さんと蘭丸で和睦工作を行った事も林家覚書にあるようですが、和睦工作の内容はうきき様の森一族のサイトで見た助命嘆願するなら下山しろという指示を与えたという記述以外には特にはないのでしょうか?
内通本当なら森一族って処刑されてもしょうがない程ですけど良く無事に済みましたよね
たくさん質問してしまいスミマセン...
5:うきき :

2017/07/05 (Wed) 16:48:52

とみー様:
『林家覚書』の存在は森家ファンでも判る方が少ないのに、よくご存じでしたね。
お尋ねの件については今週末までには改めてこのBBSにて回答さしあげますので、少々お待ちくださいませ。(子供が寝てからじゃないと資料を広げられなくて…)

それにしても『尾参宝鑑』のことも改めて気になり始めました。
でも、明治30年の出版物なので、筆者に問い合わせるという技も使えません。せめて参考文献を本に書いていてくれればよかったのにと思います。

『可成の妻は親しく信長に接して機密を得ていた。』とか(史実かどうかはわかりませんが)、具体的にはどうするんでしょね。
たとえば信長にしょちゅう会ったりしてたら別の疑いをかけられそうじゃないか…とか考えたりしてしまいます。
6:うきき :

2017/07/06 (Thu) 23:58:53

https://bbs7.fc2bbs.net//bbs/img/_122900/122826/full/122826_1499353247.jpg お待たせいたしました。

『林家覚書』を読み返しましたが、和平工作については『助命嘆願するなら下山しろという指示を与えたという記述以外』には特になかったです。

この和平工作の内容も『林家覚書』に表現を変えて何回か出てきたりしておりますが、そのうち一番詳細な文章(漢文です)ではこのくだり、
__________________________

『石山本願寺の者(「御坊」って書いてますがまさか顕如?)が密かに兼山に行って妙向尼と対面し、信長公に和睦を頼んでくれるよう望んだ。妙向尼はその対面の後につぶさに蘭丸に語った。』と書かれていました。そして続く蘭丸のセリフが
『御坊がその地にいては和睦は成しがたい。今籠っている当城を渡されて一旦いずれの国へなりとも出院なさってから再び和睦の願いをしてしかるべきです。』
その蘭丸の指図に任せて御坊(顕如)は和泉国の皆塚に立ち退いて信長公へ和睦の願いを申し入れ(以下略)
___________________________

となっていました。
原文がお知りになりたい場合はまたお知らせください。
あ、なお『今籠っている当城』と書いた部分、ちょっと私の脳内バンクに存在しない字がありましたのでぼかしてます(原文:『今被■籠当城』)。
■の部分の文字を私の書いた字で画像としてあげてます(備?)のでもしご存じでしたらご教示ください。

しかしまぁ、母親に相談されて石山本願寺にこんなセリフを言えちゃう十代の蘭丸…一人で判断した上でのセリフならなんと末恐ろしい子…(死んじゃったけど)。
7:とみー:

2017/07/08 (Sat) 01:09:41

忙しい中ありがとうごさいます。
うちにもちっこいのが二人いるので気持ち分かります
この文の感じだと信長に言う前に本願寺に伝えているのですね 私、てっきり信長に和睦したがってると伝えた後で、彼らに下山しろという指示(例えば信長から)を与えたのかと思ってました
漢字は生まれてこのかた見た事ないですが、中国の方ならご存知かもしれないとか思いました 明らかに現代で使われている漢字には見えないですね
そういえば、妙向尼の内通は林家覚書や他の史料には載ってなくて、林さんだけの内通としか書いてないんですか?
尾参宝鑑の著者を検索したら尾参郷土史とかも出てきましたが、本人自体の出自を追えませんでした
真剣には追ってませんが.....彼の出自や共同執筆者がどんな人か分かれば出典も追いやすいのかなとは思ったのですが
漢字の件お力になれず、しかもまた質問してしまいスミマセン 気が向いたらご返答下さい
8:とみー:

2017/07/08 (Sat) 10:15:52

原文読んでみたいです。
お願いします。
本願寺との和睦の件は前々から興味がありましたが具体的な森母子の働きかけが見えてこなかったのですが、蘭丸自身の和睦に対する働きかけがわかって目からウロコです。
蘭丸はお利口さんだったと言われていても、早死にしたから
あまり功績残せてないですもんね
9:うきき :

2017/07/08 (Sat) 15:08:55

妙向尼の内通は『森家先代実録』や『林家覚書』には載っておりません。

ご教示いただいた『尾参郷土史』を読めばまた何かそこに新たなる手がかりが見つかるかもしれませんね。どこかの図書館にあるでしょうか…情報どうもありがとうございます。

『林家覚書』和睦のくだり(原文)
__________________

元亀元年大坂之御坊催一宗野田福嶋籠城、其頃江州坂本浅井朝倉出張是故門徒方其侭差置軍勢江州被差向、扨、天正八年比大坂之門徒信長公可有退治御沙汰門徒方相聞御坊聞之被思難儀早速美濃国兼山潜下向有之、是者蘭丸母一向宗、且蘭丸事当時信長公出頭因茲御坊蘭丸母妙向対面而信長公和睦可有頼望也、妙向対面後具蘭丸語、蘭丸曰御坊有其地和睦願可難成、今被■籠当城被相渡一旦何之国成共有出院重而和睦之願可然云、任蘭丸指図御坊和泉之皆塚立退信長公和睦願有之故信長公終和睦之御宥免有之也、其後為御礼下間民部卿以青滋千鳥香炉徴宗皇帝筆枯木鳩絵右二品進上有之也、其後亦御坊兼山下向妙向有対顔件之赴厚御礼有之、此後妙向者一向宗中興建立之同行可尊有之妙向卒去後絵像而本寺被居置地走有之也、御坊十一代目顕如上人也
_________________

(※読点「、」は私が勝手につけました。原本には返り点(「レ点」「一二点」)が施されているのでもっと読みやすいです。

前回申し上げたように、和平工作の内容についても『林家覚書』には表現を変えて何回か出てきたりしているのですが、別のページを改めて読むとそっちでは蘭丸の名前と一緒に林長兵衛も挿入されていたり、本願寺方が妙向尼に対して「長兵衛と蘭丸に和平の取り持ち」をしてもらえるよう頼んだりしていました。また、ちゃんと信長に報告したうえで本願寺に指図しているパターンもありました。
失礼いたしました(反省)。
やはり一か所だけを読んでここにこう書いているからこうなんだと解釈するのはこの文献においては危険なようですし、そのまま信じてしまうのも用心したほうがよさそうです。お取扱い注意ですね。
10:とみー:

2017/07/08 (Sat) 23:58:03

またもや大変ありがとうございます。
昔の史料って矛盾あったりしますけど、ザックリでも本願寺とのやり取りの雰囲気が掴めて良かったです。
尾参郷土史の下巻の目次に森家面々の名前がありました。
尾参精華という本もあるようですが
国立図書館で見れるようです。
そういえば、うきき様のブログで木々寸物語の事が書いてあり欠損部分興味あります。
そちらのブログにも、また書き込みする事もあるかもしれませんがよろしくお願いいたします。
11:うきき :

2017/07/09 (Sun) 17:20:59

あらら…『尾参鄉土史』はまだ著作権があるのですね。
デジタルデータで見ることができずに残念です。
2030年まで待てる自信ないです…。

google ブックスのほうにはこの書籍の情報がでていました。
どうやら3巻すべてに森家情報が書かれているようです。

『尾参鄉土史』 第 1 巻:https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=-RxNAAAAMAAJ&focus
『尾参鄉土史』 第 2 巻:https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=GQxNAAAAMAAJ&focus
『尾参鄉土史』 第 3 巻:https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=dwxNAAAAMAAJ&focus

書籍内検索ができるのでそこに色々とキーワードを入れると内容の一部を読むことができました。
「妙光禅尼」(→本当は妙向尼ですが…)なんかをキーワードにして『尾参鄉土史』内を検索すると、内通関連っぽいのがでてきますね。
うーん、やっぱり読みたいですね。


『木々寸物語』、懐かしいですね…。
かなりお金をかけて欠損部分探しをしましたが、これも謎のままです。

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