RANMARU! BBS

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 なかば、私のツイッター化の掲示板ですが、気味悪がらずに書きこみいただけるとありがたいです。
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津山城跡の桜 - うきき

2026/04/01 (Wed) 08:46:53

津山城跡ライブ配信中

https://www.youtube.com/live/LF6q8CtFZbM?si=JCWwI6ae4eNQm0UM

長久手古戦場記念館がオープンします(2026年4月22日) - うきき

2026/03/18 (Wed) 09:39:31

長久手古戦場記念館がオープンします(2026年4月22日)
https://www.city.nagakute.lg.jp/soshiki/kurashibunkabu/shogaigakushuka/4/nagakute_memorial_1584/25053.html

長久手古戦場記念館公式HP:https://kosenjo-kinenkan.com/
※4月25(土)、26日(日)のオープニングイベント予告あり。

Re: 長久手古戦場記念館がオープンします(2026年4月22日) - うきき

2026/03/18 (Wed) 10:42:03

4月26日(日)長久手古戦場記念館オープニングイベント情報が
クラウドファンディングサイトにあるので貼っておきます。

「人間無骨の複製制作の進捗とイベント情報」可児市

『長久手古戦場記念館の開館を祝い、森長可が散った地でお披露目を行う機会を得ました!

4月26日(日)長久手古戦場記念館オープニングイベント『戦国絵巻inながくて~合戦の記憶を今に~』

に可児市も参加させていただきます!
柄の装着前の槍「人間無骨」複製の写真を撮ったり、持つことができます。柄がない状態を持てるのは今しかない!』(以上、抜粋)

https://www.furusato-tax.jp/gcf/4128?project_progress=7971#progress

なでしこの花 - うきき

2026/02/05 (Thu) 11:35:01

前妻の宝泉院(梅/可成の娘)が京都で亡くなったので、その跡を訪ねて木下長嘯子(勝俊)が詠んだ歌二首
________________________

『寶泉院の無跡みにまかりて、色々の草木ともこゝろをとゝめてうへをかれたるを、かたみにともおもはてしもやとみめくらされて、』

・なき人の宿の草木をかきなてゝうへけん物と立居てそみる

・露きへし人のうへにもいかはかりおもひをきけんなてしこの花


______________________

国立公文書館デジタルアーカイブより引用いたしました。

・木下長嘯子『挙白集』
https://www.digital.archives.go.jp/img/4246231
40ページ目の左側のページにあります。

Re: なでしこの花 髙木鋼太郎

2026/02/25 (Wed) 20:12:22

 宝泉院が夫に突き付けた三下り半の様です。「命やは うき名にかへて 何やせん まみへぬために 送るきりかみ」 森兄弟姉妹恐るべしです。 

Re: なでしこの花 - うきき

2026/02/26 (Thu) 15:08:15

宝泉院からすれば、自分の父も兄弟5人も義兄達も果敢に戦って壮絶な討ち死にを遂げているのに、よりによって自分の夫が戦線離脱したらそれはもう恥じて激高なさったことでしょうね。

ただ、宝泉院は、弟の森忠政が豊臣方から寝返って徳川に味方するにあたって、その差しさわりにならぬように豊臣一門である木下長嘯子と離婚した説もあります。

このご夫妻は離婚してからもお互い京都暮らしで、元夫の長嘯子からは、お手紙もらっていたようです。

「命やはうき名にかへて何やらん
まみえぬためにおくるきりかみ」
で覚えておりましたが、「何やせん」と記述されている文献もあるのでしょうか?

森義隆の館跡 - うきき

2026/02/12 (Thu) 07:44:19

No.3 源義隆・頼隆
『義隆・頼隆とも厚木市との直接的な関わりは見られず、荻野川に架かる源氏橋にある平成4年(1992)に建立された源氏河原の碑に「陸奥七郎が館の跡は ここらあたりか源氏橋」と刻まれている程度となっています。 鎌倉幕府成立後、頼隆は拠点を信濃へ移し、若槻氏や織田家の家臣として活躍した森可成らを輩出した森氏の祖となっていきます。』

https://www.city.atsugi.kanagawa.jp/atsugicitymuseum/2/greatfiguresinhistory/46124.html
(※あつぎ郷土博物館サイトに移動します)


源氏河原
https://maps.app.goo.gl/M7BSW17fTrSTPdEg7?g_st=il

『主図合結之記』 - うきき

2026/01/10 (Sat) 19:34:43

《巻2》
◆飯山城
「森武蔵守長一領」https://webarchives.tnm.jp/dlib/img/2785/medium/L0210017.jpg
飯山城図https://webarchives.tnm.jp/dlib/img/2785/medium/L0210018.jpg

◆松城(松代城)
「森武蔵守長一」「右近大夫忠政」https://webarchives.tnm.jp/dlib/img/2785/medium/L0210019.jpg
松城図https://webarchives.tnm.jp/dlib/img/2785/medium/L0210020.jpg

◆岩村城
「森蘭丸」「兄武蔵守長一」「弟忠政」の文字ありhttps://webarchives.tnm.jp/dlib/img/2785/medium/L0209995.jpg
岩村城図https://webarchives.tnm.jp/dlib/img/2785/medium/L0209996.jpg

《巻4》
◆津山城
森美作守忠政https://webarchives.tnm.jp/dlib/img/2787/medium/L0210131.jpg
津山城図https://webarchives.tnm.jp/dlib/img/2787/medium/L0210132.jpg

明けましておめでとうございます - うきき

2026/01/05 (Mon) 12:30:06

森長可公は午年生まれ(永禄元年戊午年) 本年もよろしくお願いいたします

Re: 明けましておめでとうございます 髙木鋼太郎

2026/01/08 (Thu) 11:54:03

長可の最後の想いを是非、皆様にお伝えしたいと考えております。確かに八幡林の敗戦には屈辱感を味わいましたが、私の遺言書で、最も訴えたい点は、巻四に書かれているように思います。"うきき”さんのご活躍に期待しております。   代長可

Re: 明けましておめでとうございます - うきき

2026/01/09 (Fri) 10:37:41

髙木鋼太郎様:

令和8年初コメントどうもありがとうございます。
今年も、モリモリ頑張ります。
それが髙木さまのお力になれると幸いです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Re: 明けましておめでとうございます - 伊太利亜国森家子孫

2026/01/09 (Fri) 14:39:43

うきき殿、新春の御慶申し納め候。
本年も我が森家へのお志、いよいよ盛んになられますよう、陰ながら念じております。
何卒御身大切にお過ごしあそばせ。

Re: 明けましておめでとうございます - うきき

2026/01/10 (Sat) 19:02:48

伊太利亜国森家子孫様:

明けましておめでとうございます

コメントどうもありがとうございます。
お互いに元気でモリモリいたしましょう。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

可児市大森 - うきき

2025/11/24 (Mon) 20:50:44

吹ケ洞砦跡(遠景)

大森城の出城として奥村氏によって築かれたのか、
または大森城を攻める森氏によって築かれたのか
不明な城。

AIに相談したら
「藪漕ぎになるから、剪定バサミを持って
いくといいですよ!」
と言われたけど、剪定バサミを持って
行かなかったので、登城口から前に進まず断念。

Re: 可児市大森 - うきき

2025/11/24 (Mon) 20:59:24

『大森城跡』

永禄年間(1560年代)
奥村氏久々利土城三河守の家老
奥村元信の子
奥村又八郎が築城
天正十年(1582)
森長可により落城

➖➖➖➖➖

大森神社の「右側」から登れば大森城の
貴重な遺構にたどり着けることがようやく判明。
今まで何度トライしてもたどり着けず、
今回やっと右側からの道に気づけました。

可児市久々利 - うきき

2025/11/24 (Mon) 20:06:55

可児郷土歴史館で開催中の
特別展『森忠政と普請した城』を見にきました!

Re: 可児市久々利 - うきき

2025/11/24 (Mon) 20:18:20

久々利城跡

森長可に謀殺された土岐三河守悪五郎頼興の城。
悪五郎をやっつけた後は、兼山のみんなで久々利まで色々と
略奪しに行ったよ。

長保寺 - うきき

2025/11/24 (Mon) 20:35:20

久々利城主の土岐三河守の菩提寺。
以前お参りした時はのぼりも立って
いなかったので嬉しいですね!

Re: 可児市久々利 - うきき

2025/11/24 (Mon) 20:42:21

久々利八幡神社
妖刀「鵜の丸」が収めてあった神社。

この鵜の丸を久々利城主が持ち出し、それを長可が強奪し(違う話もあり)、
引き継いだ忠政により伊勢神宮に奉納された。

多治見の虎渓山永保寺もみじライトアップ - うきき

2025/11/24 (Mon) 20:00:56

森忠政によっても保護された
多治見の名刹で今回限りの
もみじライトアップが開催されました。

夢のように美しいけれど、東海の夜は
寒かった…。

可児市兼山 - うきき

2025/11/24 (Mon) 19:29:36

久しぶりの美濃金山城跡(岐阜県可児市兼山)です。
南腰曲輪の犬走がきれいに整備されています。

Re: 可児市兼山 - うきき

2025/11/24 (Mon) 19:37:40

古城山の秋

Re: 可児市兼山 - うきき

2025/11/24 (Mon) 19:43:15

今回は搦手道から降りずに伝可成寺跡を散策しました。
こちらもきれいに整備されていてとても見やすく、
歩きやすくなっていました。

まずは座禅岩が目に飛び込んできます。
現地の説明を読んで、ようやくこの「座禅岩」の
謂れを知りました。

『座禅岩』(現地の説明板)
これより上方100mの頂上に、
元亀2年(1571) 金山城の初代城主森可成の
菩提寺成寺が建立されました。
(その後ふもとの城下町に移転されています)
当時の住職英厳和尚が座禅を組み修行したと伝わ
る岩です。

Re: 可児市兼山 - うきき

2025/11/24 (Mon) 19:46:03

伝可成寺跡(現地の説明板を一部抜粋)

美濃金山城の初代城主 森可成の菩提寺である
可成寺が最初にあったと伝わる場所です。
その後慶長5年(1600)ごろ、4代目城主
森忠政により移転され現在は城下町にあります。

Re: 可児市兼山 - うきき

2025/11/24 (Mon) 19:52:06

『信長公の休み石』(現地の説明板)

天正10年(1582) 3月5日織田信長公は甲斐武田攻めのために
安土城を発ち、岐阜と大山に泊った後、伊那へ向かう途次
3月9日に、ここ金山城に一泊している。

そしてこの上にあった可成寺に詣でて、金山城初代城主
森可成十三回の菩提を弔ったとのことです。
そして次の宿泊地岩村城へ向かう途中に腰を下ろし
休んだと伝わる石です。


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