
無題 - 髙木鋼太郎
2026/05/10 (Sun) 14:48:11
私は、可成寺近くで生まれ、可成寺を遊び場とし、小関の清水を飲んで育ちました。父親は私に『金山記』可成寺本を手渡してまもなく世を去りました。天は、私に森家の真実を伝える義務を課した様です。うききさんには4巻を早く世に出していただくことを願っております。このまま放置されることは、ある意味では罪深いことだと思います。
無題 - 髙木鋼太郎
2026/05/09 (Sat) 11:52:15
貴重な資料をご提示いただきありがとうございました。私の率直な意見として、今回の長久手古戦場記念館や、昨今の講演では、”森長可”を独立大名としてではなく池田家の家臣が如く紹介されています。非常に残念なことです。これは徳川家や犬山の成瀬家の森家に対する、ある意味でのコンプレックスによるものだと思います。うききさんは、白帝文庫さんとも御懇意の様で、お立場を計りかねております。
Re: 無題 - うきき
2026/05/09 (Sat) 21:11:51
コメントありがとうございます。
展示や講演での森長可の紹介のされ方についてのご意見、参考になりました。
歴史の扱いは、研究者や展示の目的によって
さまざまな視点があるものだと感じている次第です。
私自身は特定の機関や立場に属しているわけではなく、今後も大好きな森一族をここで私なりに紹介していければと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2026年森蘭丸供養祭 - うきき
2026/05/08 (Fri) 22:14:39
蘭丸供養祭
日時:2026年6月7日(日)10時~
場所:可成寺(岐阜県可児市兼山)
兼山蘭丸プロジェクツさんのXより引用いたしました。
https://x.com/kaneyama1537/status/2052720059093782873
森武蔵守長可の前熊村支配 - うきき
2026/04/29 (Wed) 16:52:59
『森武蔵守長可の前熊村支配についても、前出の前熊寺文書が伝えています。
前熊村は永禄6年(1563)に福岡氏から丹羽氏の支配に移った後、天正7年(1579)には信長と丹羽氏のいさかいを機に、森武蔵守の支配に変わっています。
長可は同時に村中の領地改めを行い、その時前熊寺に対し、従前どおり5反歩の除地(免税地)を認めています。
長可は天正12年(1584)、長久手の戦いで戦死しましたので、天正7年から5年間、上郷一帯を支配したことになりますが、その間、長可は大草城を掌中に収め、戦国時代に叶った城塞様の砦に改築したものと考えられます。』
『長久手の中世:その城館跡を中心に特別展』長久手町教育委員会(1989.1)より引用
Re: 森武蔵守長可の前熊村支配 - 髙木鋼太郎
2026/05/07 (Thu) 15:39:40
お世話になります。森長可が、小牧長久手の戦い以前より、三河と尾張の係争地であった当地区を領有していたとするならば、本戦いの通説も見直す必要があるやもしれません。更なる詳しい情報があればお教え頂ければ幸いです。
Re: 森武蔵守長可の前熊村支配 - うきき
2026/05/07 (Thu) 18:28:08
髙木鋼太郎 様:
お久しぶりです。
最近は一般向けの長久手古戦場観光パンフレットにも森長可が天正7年から長久手前熊村に所領を持っていたように書いているようですが(https://www.nagakute-kanko.jp/historic-collection/)、その根拠は近代成立の『前熊寺文書』だけのようです。
美濃の金山に本拠地に置く森長可が、天正7年ごろからピンポイントで運命の地・長久手の前熊村を支配しているのはちょっと無理があるように思います。
ただ、長久手の合戦で敗走した森軍・池田軍の敗走兵がこのエリアにある大草城一帯へ落ちのびているので、長久手の合戦に先駆けて、森軍池田軍が家康と戦うことを前提にこの地域の城を押さえていたのかもしれませんね。そのような一時的なことだったらまだ納得がいくのですが…。
『長久手町史』に掲載された『前熊寺文書』は解読ミスが多々あると耳にしたので、できれば古文書原本を参照してみたいものですね。
また森長可と前熊村関係の資料があったらサイト上にでも情報共有いたします。
Re: 森武蔵守長可の前熊村支配 - 髙木鋼太郎
2026/05/08 (Fri) 09:37:49
返信ありがとうございます。長久手地域は、尾張の信長領と岩崎城の丹羽氏領の境界領域であり、ここを守るため一時的に森長可を派遣した可能性も無くはないかと思います。とは言え、この事が真実であり、家康がこの地に踏み込んだとすれば森長可は、自領を守るために三河中入りを決行したとも考えられます。小牧長久手の戦いでは、徳川に不都合な真実は消されている可能性があります。
『大草城跡地形測量等調査報告書』 - うきき
2026/05/08 (Fri) 20:12:58
髙木鋼太郎様:
長久手市サイト内から掘り起こしてまいりましたので、情報共有いたします。
個人的には文献資料がまとめてあるのが嬉しいですね。
『大草城跡地形測量等調査報告書』
(本文)https://www.city.nagakute.lg.jp/material/files/group/14/houkokusyohonnbunn.pdf
(文献資料)https://www.city.nagakute.lg.jp/material/files/group/14/houkokusyobunnkenn.pdf
(図版)https://www.city.nagakute.lg.jp/material/files/group/14/tyousahoukokusyozuhan.pdf
(航空写真1)https://www.city.nagakute.lg.jp/material/files/group/14/houkokusyosyasin1.pdf
(航空写真2)https://www.city.nagakute.lg.jp/material/files/group/14/houkokusyosyasin2.pdf
(航空写真3)https://www.city.nagakute.lg.jp/material/files/group/14/houkokusyosyasin3.pdf
無題 - うきき
2026/05/01 (Fri) 23:54:15
津山城、天守内部もリアルにCGで再現
湯殿、便所、南蛮鐘も 岡山
2026年4月30日 10時15分
『日本3大平山城と呼ばれる津山城(岡山県津山市)。かつてここにあった天守の内部を再現した3Dのコンピューターグラフィックス(CG)が、市内の観光施設やインターネットで見られるようになった。』
https://www.asahi.com/sp/articles/ASV4Y4QKJV4YPPZB002M.html
池田神社 - うきき
2026/04/29 (Wed) 16:28:18
池田神社
https://hamanako-kosai.jp/location/1500/
(湖西新居観光協会HP)
https://maps.app.goo.gl/BESg8asefoE5EkUC9
永見寺の棟札(長久手市) - うきき
2026/04/28 (Tue) 20:21:55
永見寺の棟札(桧) 天正13年(1585年)
________________________
(表)
参拝請延命地蔵大菩薩尊
________________________
(裏)
為顕功永節大居士
為護国院雄岳宗英大居士 池田徳川両軍戦死之霊供養者也
為鐡圍秀公大居士
天正乙酉歳五月謹書
Re: 永見寺の棟札(長久手市) - うきき
2026/04/28 (Tue) 20:32:01
・顕功永節大居士(=池田元助)
・護国院雄岳宗英大居士(=池田恒興)
・鐡圍秀公大居士(=森長可)
池田恒興に従って長久手の合戦に参加した7人が敗戦後にこの地に住み、そのうち一人は僧侶となった。
津山城跡の桜 - うきき
2026/04/01 (Wed) 08:46:53
津山城跡ライブ配信中
https://www.youtube.com/live/LF6q8CtFZbM?si=JCWwI6ae4eNQm0UM
長久手古戦場記念館がオープンします(2026年4月22日) - うきき
2026/03/18 (Wed) 09:39:31
長久手古戦場記念館がオープンします(2026年4月22日)
https://www.city.nagakute.lg.jp/soshiki/kurashibunkabu/shogaigakushuka/4/nagakute_memorial_1584/25053.html
長久手古戦場記念館公式HP:https://kosenjo-kinenkan.com/
※4月25(土)、26日(日)のオープニングイベント予告あり。
Re: 長久手古戦場記念館がオープンします(2026年4月22日) - うきき
2026/03/18 (Wed) 10:42:03
4月26日(日)長久手古戦場記念館オープニングイベント情報が
クラウドファンディングサイトにあるので貼っておきます。
「人間無骨の複製制作の進捗とイベント情報」可児市
『長久手古戦場記念館の開館を祝い、森長可が散った地でお披露目を行う機会を得ました!
4月26日(日)長久手古戦場記念館オープニングイベント『戦国絵巻inながくて~合戦の記憶を今に~』
に可児市も参加させていただきます!
柄の装着前の槍「人間無骨」複製の写真を撮ったり、持つことができます。柄がない状態を持てるのは今しかない!』(以上、抜粋)
https://www.furusato-tax.jp/gcf/4128?project_progress=7971#progress
なでしこの花 - うきき
2026/02/05 (Thu) 11:35:01
前妻の宝泉院(梅/可成の娘)が京都で亡くなったので、その跡を訪ねて木下長嘯子(勝俊)が詠んだ歌二首
________________________
『寶泉院の無跡みにまかりて、色々の草木ともこゝろをとゝめてうへをかれたるを、かたみにともおもはてしもやとみめくらされて、』
・なき人の宿の草木をかきなてゝうへけん物と立居てそみる
・露きへし人のうへにもいかはかりおもひをきけんなてしこの花
______________________
国立公文書館デジタルアーカイブより引用いたしました。
・木下長嘯子『挙白集』
https://www.digital.archives.go.jp/img/4246231
40ページ目の左側のページにあります。
Re: なでしこの花 - 髙木鋼太郎
2026/02/25 (Wed) 20:12:22
宝泉院が夫に突き付けた三下り半の様です。「命やは うき名にかへて 何やせん まみへぬために 送るきりかみ」 森兄弟姉妹恐るべしです。
Re: なでしこの花 - うきき
2026/02/26 (Thu) 15:08:15
宝泉院からすれば、自分の父も兄弟5人も義兄達も果敢に戦って壮絶な討ち死にを遂げているのに、よりによって自分の夫が戦線離脱したらそれはもう恥じて激高
なさったことでしょうね。
ただ、宝泉院は、弟の森忠政が豊臣方から寝返って徳川に味方するにあたって、その差しさわりにならぬように豊臣一門である木下長嘯子と離婚した説もあります。
このご夫妻は離婚してからもお互い京都暮らしで、元夫の長嘯子からは、お手紙もらっていたようです。
「命やはうき名にかへて何やらん
まみえぬためにおくるきりかみ」
で覚えておりましたが、「何やせん」と記述されている文献もあるのでしょうか?